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更新日:2016年2月15日
名称 |
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種別 |
所在地 | 所有者等 |
指定年月日 |
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朝仁貝塚 |
史跡 |
奄美市名瀬朝仁町 | 奄美市 |
S45年3月3日 |
前史時代における奄美と中国、本土との交流を実証する遺跡。中国系の白磁、青磁等の陶磁器や本土系の須恵質の陶器、初期伊万里焼きなどが出土している。奄美の歴史や文化を解明するうえで重要な貝塚である。
名称 |
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種別 |
所在地 | 所有者等 |
指定年月日 |
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根瀬部地区自生ツツジ |
天然記念物 |
奄美市名瀬大字根瀬部 | 根瀬部ツツジ保存会ほか |
S45年3月3日 |
南方系のツツジ属であるタイワンヤマツツジの群生地で、植物生態、分布などのうえから学術的に貴重なものである。
名称 |
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種別 |
所在地 | 所有者等 |
指定年月日 |
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有盛神社の石造弁財天像 |
有形文化財(彫刻) |
奄美市名瀬大字浦上 | 浦上町内会 |
S47年3月2日 |
名称 |
画像 |
種別 |
所在地 | 所有者等 |
指定年月日 |
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有盛神社境内の森林 |
天然記念物 |
奄美市名瀬大字浦上 | 浦上町内会 |
S47年3月2日 |
平家伝説と密接に結びついた神社。そのご神体の仏像は、航海安全のために寄進されたもので、秀逸な彫出技術が認められる。また、神社一帯の森林は、亜熱帯的な林相を代表する典型的なものである。
壇ノ浦の戦い(1185)で源氏に敗れた平氏の残党が落ち延びてきた、という伝承が奄美の各地に数多く残っている。平行盛(たいらのゆきもり)、平有盛(たいらのありもり)、平資盛(たいらのすけもり)は、最初は喜界島に逃れ、後に大島にわたってきた。行盛は龍郷町戸口に、有盛は名瀬の浦上に、資盛は瀬戸内町加計呂麻島の諸鈍に居を構え、家来を各地に配備し、源氏の追随に備えていた、との伝承がある。
この3箇所の地には、3人を祀った神社が建立されてい。(行盛神社、有盛神社、大屯神社)
有盛神社には、薩摩藩の役人・田代清方(たしろきよかた)が航海安全を祈願したご神体(石造弁才天像)を寄進しています。また、境内の奥地・丘陵の頂上付近には、大島代官・肥後翁助(ひごおうすけ)が文化13年(1816)に寄進建立した平有盛の墓碑があります。
名称 |
画像 |
種別 |
所在地 | 所有者等 |
指定年月日 |
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小湊厳島神社の木造弁財天坐像及び黒漆塗り厨子 |
有形文化財(彫刻) |
奄美市名瀬大字小湊 | 小湊 |
S47年3月2日 |
名称 |
画像 |
指定年月日 |
種別 |
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小湊厳島神社の石燈籠及び手水鉢 |
S47年3月2日 |
有形民俗文化財 |
境内に寄進された石灯籠は、かつて観音寺が存在したことを立証するものである。ご神体の木彫りの仏像(十五童子弁才天像)は、秀逸な彫出技術が認められ、奄美での希少価値も高い。地域の子宝伝承とともに貴重な資料である。
ご神体の仏像は、寛政3年(1791)、古見方(こみほう、地方名)の筆子(てっこ、役職名)の恒雲(つねうん、人名)が寄進。境内の石灯籠は、古見方の与人(よひと、役職名)の貫悦(かんえつ、人名)が寄進。手水鉢(ちょうずばち)は、覇仁志(はにし、人名)が寄進したものです。
名称 |
画像 |
指定年月日 |
種別 |
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有良・厳島神社石祠および神体恵比寿像 |
S59年11月20日 |
有形文化財(彫刻) |
ご神体の石祠と恵比寿像は、名瀬間切瀬師々子村(現在の龍郷町龍郷)の荻(黍)横目(地方役人)の佐喜美が享保3年(1718)に寄進したものである。奄美における歴史の裏付け資料として貴重なものである。また、民俗文化財としても価値の高い資料である。
名称 |
画像 |
指定年月日 |
種別 |
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浦上ノロ祭祀具 |
S60年11月30日 |
有形民俗文化財 |
ノロについては、組織、祭祀、祭具、呪詞、機能等は学術的に未解明な部分が多い。これらの祭祀具は、一連の祭祀を執り行うために浦上地区に伝えられてきたものである。アヤハベラ(簪)、サギ羽(簪)、連珠、領巾(ヒレ)等。
名称 |
画像 |
指定年月日 |
種別 |
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南島雑話(写本五冊) |
H3年5月22日 |
有形文化財(古文書) |
1850年代に薩摩藩士の名越左源太が小宿村に遠島中、5年間にわたって、島の諸制度をはじめ、天文、地理、動植物、衣食住、年中行事等、あらゆる分野の体験や見聞を図解し、詳細に記述してある。奄美研究、南島研究のバイブルとして貴重な文献(古文書)である。
名称 |
画像 |
指定年月日 |
種別 |
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大熊・龍王神社観音堂 石造観音坐像及び石造弁才天坐像 |
H10年9月30日 |
有形文化財(彫刻) |
仮屋(代官所)の変遷とともに、観音寺も大熊、赤木名、伊津部と変遷を経て、今日大熊の龍王神社観音堂に合祀されるという伝承を備えている。大熊集落に薩摩藩の仮屋(代官所)が設置されていた歴史的事実の傍証ともなる。また、石仏2躯はいずれも秀逸な彫出技術が認められ、同じ時代・工房で製作されたものと考えられている。
名称 |
画像 |
指定年月日 |
種別 |
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小湊フワガネク遺跡群 |
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H14年3月22日 |
史跡 |
7世紀前後に位置づけられる遺跡包含層が認められる。奄美群島特有の土器形式といわれる「兼久式土器」が多数出土しているのをはじめ、南西諸島でしか認められていない貝匙、貝札等の多彩な貝器、鉄器、石器等の遺物が大量に出土しており、当時の実態が窺える重要な遺跡として高く評価されている。南西諸島全体の歴史の空白を埋める重要な遺跡として位置づけられる。
名称 |
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指定年月日 |
種別 |
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奄美博物館所蔵・奄美群島日本復帰関係資料 |
H16年5月22日 |
有形文化財(歴史) |
奄美群島の歴史を語る上で欠かせない日本復帰運動について、奄美市立奄美博物館に所蔵されている資料は、奄美大島日本復帰協議会の関係資料や日本復帰嘆願署名簿等、その歴史をよく伝えるきわめて重要なものである。
なお、奄美市立奄美博物館に所蔵されている関係資料に限り文化財指定するものであり、まだ多数存在していると思われる個人所蔵資料は含めない。
名称 |
画像 |
指定年月日 |
種別 |
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名瀬小学校敷地内の石段 |
H25年10月28日 |
史跡 |
名瀬小学校は、米軍政府の統治下時代に復帰を願う奄美大島日本復帰協議会が結成され、1951(昭和26)年7月13日、第1回名瀬市民総決起集会が開催された場所で27回もの集会が開催された復帰運動のメイン会場として利用された場所である。
特に石段は、復帰を願う演説等が行われた場所でもあり,復帰運動の象徴として存在している。
平成25年、奄美群島は復帰60周年を迎えた。奄美群島日本復帰運動を後世に語り伝えていくためには欠くことのできない貴重な歴史的価値の高い資料であると考えられる。
また、この石段にはグラバーらが建設した白糖工場跡の石なども含まれている。その点では、近代当初の足跡をも残している。
種別 |
名称 |
所在地 |
所有者等 |
指定年月日 |
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天然記念物 |
マングローブ群落 |
奄美市住用町石原 |
奄美市 |
平成4年9月1日 |
天然記念物 |
モダマ自生地 |
奄美市住用町東仲間 |
奄美市 |
平成4年9月1日 |
史跡 |
サモト遺跡 |
奄美市住用町城 |
奄美市 |
平成4年9月1日 |
有形文化財(彫刻) |
石像 |
奄美市住用町西仲間 |
奄美市住用町 |
昭和47年8月20日 |
無形民俗文化財 |
コメツキ踊り |
奄美市住用町市 |
市コメツキ踊り保存会 |
平成4年9月1日 |
無形民俗文化財 |
ソオ踊り |
奄美市住用町西仲間 |
西仲間ソオ踊り保存会 |
平成4年9月1日 |
種別 |
名称 |
所在地 |
所有者等 |
指定年月日 |
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史跡 |
土浜ヤーヤ遺跡 |
奄美市笠利町土浜 |
奄美市 |
昭和46年9月1日 |
史跡 |
宇宿高又遺跡 |
奄美市笠利町宇宿 |
奄美市 |
昭和51年12月25日 |
史跡 |
アナバリトフル |
奄美市笠利町手花部 |
奄美市 |
昭和46年9月1日 |
史跡 |
辺留城古墓 |
奄美市笠利町笠利 |
関係者 |
昭和46年9月1日 |
史跡 |
笠利大島奉行所跡 |
奄美市笠利町笠利 |
個人所有 |
昭和46年9月1日 |
史跡 |
津代古戦場跡 |
奄美市笠利町手花部 |
奄美市 |
昭和46年9月1日 |
史跡 |
大島仮屋跡 |
奄美市笠利町里 |
個人所有 |
昭和46年9月1日 |
史跡 |
赤木名観音寺跡 |
奄美市笠利町里 |
奄美市笠利町里集落 |
昭和46年9月1日 |
名勝 |
アマンデー |
奄美市笠利町節田 |
奄美市笠利町節田集落 |
昭和46年9月1日 |
名勝 |
薗家の庭園 |
奄美市笠利町用安 |
個人所有 |
昭和46年9月1日 |
天然記念物 |
手花部メヒルギ群落 |
奄美市笠利町手花部 |
奄美市 |
昭和46年9月1日 |
天然記念物 |
土盛子だき石 |
奄美市笠利町土盛 |
奄美市 |
昭和46年9月1日 |
有形文化財(古文書) |
大島代官記写本 |
奄美市笠利町外金久 |
個人所有 |
昭和46年9月1日 |
有形文化財(古文書) |
永代大雑書 |
奄美市笠利町里 |
個人所有 |
昭和46年9月1日 |
有形文化財(歴史) |
笠利村教育資料 |
奄美市笠利町笠利 |
奄美市教育委員会 |
昭和46年9月1日 |
有形文化財(歴史) |
前島友庵の墓地 |
奄美市笠利町里 |
個人所有 |
昭和46年9月1日 |
有形文化財(歴史) |
手花部の墓石 |
奄美市笠利町手花部 |
奄美市 |
昭和46年9月1日 |
有形文化財(彫刻品) |
美財天(蒲生神社) |
奄美市笠利町屋仁 |
笠利町屋仁集落 |
昭和46年9月1日 |
無形民俗文化財 |
宇宿稲すり踊り |
奄美市笠利町宇宿 |
宇宿稲すり踊り保存会 |
昭和46年9月1日 |
無形民俗文化財 |
用シュンカネクワァ |
奄美市笠利町用 |
用シュンカネクワァ |
昭和52年7月11日 |
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