本文へスキップします。

総合トップ > 教育・文化 > 文化財保護の充実 > 郷土史 > 奄美群島日本復帰関係

ここから本文です。

更新日:2018年12月20日

奄美群島日本復帰関係

日本復帰記念の日のつどい

「日本復帰記念の日」である毎年12月25日に、奄美市と民間団体からなる実行委員会で「日本復帰記念の日のつどい」を開催しています。

  • 日本復帰記念の日の詳細につきましては、下記リンク先をご確認ください。
    日本復帰記念の日

奄美群島日本復帰の概要

1946年(昭和21年)2月、奄美は本土と行政分離され、米軍政府下におかれました。
名称も臨時北部南西諸島政庁、奄美群島政府、奄美地方庁とかわりました。
1953年(昭和28年)8月にダレス声明が発表され、同年12月25日めでたく日本に復帰しました。

奄美群島日本復帰関係の年表

西暦

元号

事項

1941

昭和16

  • 太平洋戦争(第二次世界大戦)開戦

1944

昭和19

  • 富山丸(8,000t)徳之島沖で米軍潜水艦の攻撃を受け沈没(6月29日)
  • 集団疎開船「対馬丸」攻撃を受け沈没(8月22日)
  • 島尾敏雄、「第18震洋隊」の隊長として奄美大島・加計呂麻島に着任

1945

昭和20

  • 米軍沖縄本島上陸(4月)
  • 名瀬大空襲を受け、市街地の90%焼失(4月)
  • 太平洋戦争(第二次世界大戦)終結(8月15日)

1946

昭和21

  • 奄美・沖縄等日本本土と行政分離「連合国覚書宣言」(二・二宣言)(2月2日)
    北緯30度以南を分離、本土との渡航を全面禁止(十島村(じっとうそん)は上三島(竹島、黒島、硫黄島)と下七島(口之島、中之島、平島、諏訪之瀬島、悪石島、臥蛇島、小宝島、宝島)が分断)
  • 大島支庁内に軍政府を設置(3月13日)、米海軍の軍政下に置かれる(3月16日)
  • 名瀬市制施行(名瀬町から名瀬市となる)(7月1日)
  • 大島支庁を米軍政府臨時北部南西諸島政庁と改称、支庁長を知事とする(10月)

1947

昭和22

  • 「闇船取締規則」交付(1月)
  • 大島郡内の市町村長会は日本復帰嘆願を決議し、口頭で軍政府長官に伝える(8月)
  • 集会・言論・出版の自由等を規制される(10月11日)
  • 名瀬で奄美復興博覧会開催(11月1日~11月20日)
  • 名瀬で第1回奄美体育大会開催(11月11日~11月30日)

1948

昭和23

  • 教育制度の改革「6・3・3制」の実施、国民学校を小学校と改称(4月1日)
  • 2名の教師が教育関係図書の購入のため本土へ密航(6月19日)
  • 大島支庁内に奄美博物館図書室を設置(8月)

1949

昭和24

  • 米軍政府食糧3倍値上げを指示(4月29日)
  • 「奄美教育基本法」、「奄美学校教育法」の公布(5月16日)
  • 奄美博物館開館(6月30日)
  • 昇曙夢、「大奄美史」を刊行(12月25日)

1950

昭和25

  • 米軍政府、食糧3倍値上げを実施(1月11日)
  • 奄美群島政府開設(10月25日)

1951

昭和26

  • 奄美大島日本復帰協議会結成(議長:泉芳朗)(2月14日)、日本復帰請願署名運動が始まる
  • 臨時琉球中央政府を設置(4月1日)
  • 大島文化情報会館を設置(4月26日)
  • 日本復帰請願署名運動完了、14歳以上の住民の99.8%に達する(5月)
  • 名瀬市民総決起大会(プラカード撤去命令(プラカード事件))(7月13日)
  • 「日本復帰の歌」(作詞:久野藤盛、作曲:静忠義)を発表(7月19日)
  • 泉芳朗、復帰祈願断食(8月1日~5日)、全群民集団ハンガーストライキを実施(8月5日~6日)
  • 第一回日本復帰郡民総決起大会(8月)
  • 日米講和条約(サンフランシスコ講和条約)調印(9月)
    北緯29度以南はそのまま分離
    (講和条約第三条の中に「信託統治」の条項が織り込まれている)
  • 大島高等学校の各部を分離し、大島高等学校・大島女子高等学校・大島農業高等学校となる(9月1日)
  • 連合国最高司令官覚書により北緯29度以北(十島村の下七島)が日本復帰(12月5日)(大島郡十島村(じっとうそん)が二つ存在することとなる)

1952

昭和27

  • ポツダム政令により、北緯29度から30度間の十島村(じっとうそん)の下七島を大島郡十島村(としまむら)とする(2月10日)
  • 十島村(じっとうそん)の上三島を大島郡三島村(みしまむら)として発足(2月10日)
  • 奄美群島政府を廃止、琉球政府発足(4月1日)
  • 大島女子高校内に琉球大学大島分校を設置(4月1日)
  • 大島情報会館を奄美琉米文化会館とし、奄美博物館から琉球政府立奄美図書館を分離(4月1日)
  • 日米講和条約の発効(4月29日)(郡民大会を開催し、弔旗を掲げる)
  • 復帰協議会議長の泉芳朗、名瀬市長に当選(9月7日)
  • 琉球政府奄美地方庁を開庁(9月22日(地方庁長に沖野友栄))
  • 日米講和条約第三条の撤廃署名運動、99.9%に達する(11月)

1953

昭和28

  • 奄美琉米文化会館のコンクリートホール落成(4月3日)
  • 重成格(鹿児島県知事)、ルーズベルト夫人と会見(5月31日)
  • ルーズベルト夫人、「米国の世論に訴える」等と発言(5月31日)
  • 基八重子(奄美婦人連合会長)ら、福岡でルーズベルト夫人と面談(6月10日)
  • ダレス米国務長官、奄美群島の返還を声明(8月8日)
  • 奄美群島返還日米協定調印(12月24日)(奄美地方庁廃庁式)
  • 奄美群島日本復帰(12月25日)(奄美群島返還式、大島支庁開庁式、復帰祝賀式典、提灯行列など)

1954

昭和29

  • 奄美大島日本復帰協議会解散式(1月16日)
  • 復帰後初の衆議院議員選挙(8人が立候補したが、法定得票数を得た者がなく再選挙)(2月)「奄美群島特別区」
  • 「奄美群島復興特別措置法」公布(6月)
  • 奄美大島復興協議会を結成(7月20日、議長:村山家國、副議長:大津鐵治、長田重徳、沖野友栄)
  • 日本政府、奄美群島復興審議会を発足(8月)
  • 鹿児島県は奄美大島復興対策協議会の委員を任命(9月7日、奄美委員12名を任命)

1955

昭和30

  • 名瀬市と三方村が合併(名瀬市)(2月1日)
  • 九学会奄美群島学術調査はじまる(昭和32年まで)(7月)
  • 名瀬市中央通で大火、118棟焼失(10月18日)
  • 名瀬市屋仁川通りで大火、1,361棟焼失(12月3日)

1956

昭和31

  • 古仁屋町、西方村、鎮西村、実久村が合併し、瀬戸内町となる(9月1日)
  • 喜界町、早町村が合併し、喜界町となる(9月10日)

1957

昭和32

  • 奄美日米文化会館が開館、館長に島尾敏雄が就任(12月1日)

1958

昭和33

  • 「奄美郷土研究会」が発足(1月)
  • 亀津町と東天城村が合併し、徳之島町となる(4月1日)
  • 奄美日米文化会館が鹿児島県立図書館奄美分館となる(4月1日)
  • 瀬戸内町古仁屋で大火、1,628戸が焼失(12月27日)

1959

昭和34

  • 名瀬市に鹿児島県立大島病院を開設(3月29日)
  • 泉芳朗、東京で急逝(4月9日)
  • 大島高等学校の講堂で泉芳朗の郡民葬(4月26日)

1964

昭和39

  • 「奄美群島復興特別措置法」は「奄美群島振興特別措置法」に改正

1972

昭和47

  • 沖縄が日本復帰(5月15日)

1973

昭和48

  • 大島郡三島村を鹿児島郡三島村とする(4月1日)

お問い合わせ

教育委員会文化財課

894-0036 奄美市名瀬長浜町517

電話番号:0997-54-1210

ファックス:0997-53-6206

ページトップ