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更新日:2023年1月10日
太平洋戦争終了の翌年(昭和21年・1946年)2月2日の「連合国覚書宣言」(2・2宣言)によって、北緯30度以南の南西諸島は行政分離され、米国の軍政下に統治されました。
昭和25年6月、ダレス国務長官が来日し、対日講和(平和)条約の動きが出て、翌年の1月に講和(平和)条約の交渉が始まると奄美群島の日本復帰の期待が高まり「奄美大島日本復帰協議会」が発足し、本格的な復帰運動が行われました。
日本復帰協議会の組織化と同時に名瀬市内から署名運動が始まり、地方でも復帰協議会支部結成と相まって署名運動が展開された。
署名簿には群民の99.8%が署名した。
署名簿は対日理事会、吉田総理、外務省などへ、請願書とともに提出された。
復帰協議会が各市町村支部を通じて大島郡民に有償配布したバッチ。
その益金は祖国復帰運動資金として使用された。
バッチは復帰への限りない意志を表している。
祖国日本復帰運動資金集めの時、街頭募金班が使用したもの。
腕章の真中の日の丸を中心に、復帰貫徹の文字が入っている。
祖国日本復帰貫徹郡民総決起大会の折使用したもの。
各組織の代表者が士気を鼓舞するためこの鉢巻をしめて先頭に立った。
真中の日の丸を中心に完全日本復帰貫徹の文字。
復帰協議会本部に立てられた縦約2メートルの看板。
現在の商工会議所付近に衛生組合があり、その事務所に本部があった。
復帰記念碑(おがみ山)
泉芳朗氏胸像
泉芳朗詩碑(おがみ山)
断食祈願の日
郡民総決起大会(プラカード事件の日)
左:奄美群島政府知事・中江実孝氏
右:日本復帰協議会議長・泉芳朗氏
於:名瀬小学校校庭
(昭和26年7月下旬)
日本復帰貫徹郡民大会
於:名瀬小学校校庭
(昭和27年10月)
日本復帰貫徹郡民大会
於:名瀬小学校校庭(昭和27年)
日本復帰貫徹郡民大会
於:名瀬小学校校庭
(昭和27年8月)
ダレス声明感謝ちょうちん行列
於:名瀬市支庁通り(昭和28年9月)
復帰を喜ぶ泉芳朗復帰協議会議長(昭和28年)
ダレス声明感謝ちょうちん行列
於:名瀬市支庁通り
(昭和28年9月)
ダレス声明感謝郡民大会
於:名瀬小学校校庭
大島高校学生自治会役員達
(昭和28年12月25日)
祝日本復帰の提灯行列の後大島高校に帰りきて
奄美群島日本復帰
祝賀飛行
於:名瀬市埠頭
(昭和28年12月25日)
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