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更新日:2013年3月20日
女の節句。前日にフチダグ(ヨモギ団子)やフチムチ(ヨモギ餅)を作る。また、白い餅も作る。この2種類の餅(ヨモギ餅と白い餅)は三角形に切り、ヨモギ団子と共に神棚(先祖)に供える。この3種を重箱に入れて、親元の家や叔父(伯父)・叔母(伯母)の家にも届ける。
また、家の軒にヨモギと白百合の花を挿し、病邪を除く風習もある。
3日の当日は老若男女弁当を持ち、節句遊びと称して終日海岸で遊んだり、貝取り等をして過ごす。この日に海に出て遊ばないとフクロウになるとか、災いが起こるとか、言い伝えが残されている。前年に生まれた女の子を海水につける風習もある。
昭和の時代までは、名瀬市内の事業所ではこの日を休みにしたり、午後から休みとするのが多かったが、これら旧暦での行事・風習は年々希薄になってきている。新暦でのひな祭りを行う傾向が強まってきている。
旧暦の3月15日、8月15日、10月15日に与論島民の慰安と島中安穏、五穀豊穣の祈願と感謝を琴平神社に奉納する。1561(永禄4)年に創作され、今日に受け継がれている、といわれている。
一番組(14人)、二番組(5人)のいずれも男性で構成され、世襲制で受け継がれている。一番組は白装束に黒足袋の衣装で室町時代の狂言を取り入れて踊る。演目によって仮面、扮装が変化する。二番組は黒っぽい衣装に幅広の帯、後ろに「ティサージ」という手拭いを下げる。頭には「シュパ」という長い頭巾を巻いて顔面を覆って琉球的な踊りをする。
日本本土的なものと琉球的なものとが混在し、研究上大変貴重な芸能として、1971(昭和46)年に鹿児島県の無形民俗文化財に指定。1993(平成5)年に国の重要無形民俗文化財に指定される。
中学校の卒業式の夕方から、その家では盛大にお祝いをする。
祖父母、親戚や両親の友人・知人、学校の先生等多くの人がお祝いにその家を訪問し、卒業した子供に金品等を贈り、励ます。
卒業生のいる家では、この日お祝いに訪問してくれる人のために、吸い物やご馳走、記念品を準備する家庭も多い。
このお祝いに数ヶ所の家庭を訪問しなければならない人も多い。
近年、このお祝いが華美になるとか、家庭の負担が大きい等の理由から、集落単位や自治会単位等での合同激励会にしたり、家族・親戚だけでお祝いをすることもある。
鹿児島県では多くの場合、中学校の卒業式の翌日が高校入学試験の合格発表の日である。
中学校卒業祝いの方を盛大に行い、合格祝いは家族を中心に行う場合が多い。
小学校の入学式の行われた日の夕方から、その家では盛大にお祝いをする。
祖父母、親戚や両親の友人・知人等多くの人がお祝いにその家を訪問し、小学校入学した子供に金品等を贈り、励ます。
小学校に入学する子供のいる家では、お祝いに訪問してくれる人のために、吸い物やご馳走、記念品を準備する家庭も多い。
このお祝いに数ヶ所の家庭を訪問しなければならない人も多い。
近年、このお祝いが華美になるとか、家庭の負担が大きい等の理由から、集落単位、自治会単位等でのお祝いにしたり、家族・親戚だけですることもある。
ハブを鎮める日とか、ハブ除けの日とかいい、仕事を休む日である。ヘビにまつわる女性の汚れを払う日ともいわれている。
旧暦4月に午(うま)の日が3回あると、この3回は遊び日(ンマーネ)となる。2回ある場合には、最初の午の日だけが遊び日となる。
この日はコーセン(はったい粉)やコーセンに甘藷(サツマイモ)を加えてこねた餅を作り、ニラ汁を食べる、という風習がある。
古老の話に「昔、大島の南の村に娘がいて、ヘビの化身と通じて妊娠した時、ニラを味噌煮にして食べたところ、次の午の日の午の刻に不思議な下りものがあり、心身ともにさわやかになった。もとのように元気になったことを村の人々は伝え聞いて、この日を定めて汚れ払いといってニラを食べるようになった。」というのがある。
また、「子供が急に見えなくなったので方々を探したところ、ヘビの這い回った形跡があり、これをたどっていったら山の中の大きな沼に着いた。そこで、皆で付近にはえていたニラをたくさん刻んで沼に投げ込んだら、しばらくして大きなハブが死んで浮き上がり、その腹の中に子供が呑みこまれていた、という。これが三日もかかったので三日うち(ミキャウチ)というようになったという。それから毒消し、魔除けとして必ずニラを食べている。」との話もある。
近年ではほとんど見られなくなった風習である。
ハツマネと同様にハブ除けの日とか、長いものを引いたりしない日とかいわれる遊び日である。
虫除けの日とか長虫(ハブ等)を除く日で、物が動くのも忌み嫌い、何もしてはいけない日とされている。また、縄など長いものを触ったりすることも厳しく忌み嫌った。他の集落から人が訪ねてくることまでも嫌ったりした。
当日、日の出前に一日分の食事を整え、家族の中の一人が田に行き、虫のついた稲の葉を取ってクワズイモの葉に包んで川や海に流す。そして酒や弁当を持って浜に下り、終日遊び過ごす。午後から色々な余興(舟漕ぎ競争、馬競争、…)をしたりして大変にぎわう一日である。
この風習も近年希薄になってきている。舟漕ぎ競争等が一部の地域で行われたり、市町村単位での祭りの行事に取り入れられたりしている。
男の節句といわれている。
昔、鬼が出てきたときに人間は菖蒲の茂みの中に隠れ、その難を逃れた、という言い伝えがある。この伝承に基づいてこの日には家の軒に菖蒲とヨモギをさす。この日には浜に下りて舟競争や馬競走などを行っていたが、近年少なくなってきている。
稲が実って刈り入れ前の戊(つちのえ)の日に行う場合が多い。
家の内外の大掃除を行い、家財道具等を海や川で洗い清め、田から家までの道を伐採清掃し清める。そして夕方に田から稲穂3本あるいは一握りを刈り取ってきて、神棚に捧げる。
イニ(ー)シクマ(イネシキョマ)の日の後の丙(ひのえ)の日には、新米で炊いた飯を神に供え、家族一同でもその新米飯をいただく行事を行う。
稲作が減少した現在、これらの行事も見られなくなってきている。
タナバタ(七夕)祭りは、本土の様式とほとんど似ている。大人は稲刈りの多忙な時期のため、こども達の行事である。前日に山から長い竹を切ってきて、タナバタの飾りを作る。
タナバタ飾りは、色紙を適当な大きさに切り、違う色を交互に継いで長くし、上方にはくくりつけられるよう、こよりをつける。下方にはズブ(尾)と称する房等をつける。他にも色紙でいろんな飾りを作っておく。
7日の早朝、竹の葉についた露で墨を磨り、短歌や俳句、願い事等を和紙や色紙に書いて竹の枝に結び、屋敷内に立てる。立てた後、他の家のタナバタ飾りを見て回り、互いに比べあったりする。この七夕飾りの竹は、7月13日に海に流すか焼き捨てる。この竹を海で拾って釣り竿にすれば、魚がよく釣れるといわれている。
またこの日は農家にとって大切な日でもある。天の川で二つの星が流した涙は地上に雨となって落ちるといわれ、この雨の時に蒔いた大根は薬になると信じられている。(「七夕まき」と呼ぶ。)
旧暦1月16日に行う「山神まつり」と同様のまつりが行われていたが、旧暦7月にはほとんど行われなくなっている。
奄美大島では、季節の節目に大小さまざまな祭りが行われます。なかでも「ミハチガツ」(三八月とも新八月とも記載したりする)といい、旧暦8月の最初の丙(ヒノエ)の日を「アラセツ」、それから7日後の壬(ミズノエ)の日を「シバサシ」、その後の甲子(キノエ・ネ)の日を「ドゥンガ」と呼んで、この三大節日には盛大かつ熱狂的な祭りが行われます。
この期間、人々は、稲霊や万物の神々に五穀豊穣を感謝・祈願し、7日7夜集落をあげて「八月踊り」を踊りあかし、奄美は唄と踊りの渦に包まれます。
奄美の「八月踊り」は、集落の広場(ミャーとかマーなどと呼ぶ神聖な場所)で人々が丸く大きな輪になり、「チヂン」と呼ぶ独特の楔(くさび)締めの太鼓のリズムで男女の掛け合いの唄にあわせて踊ります。見た目には単調な踊りに見えますが、足捌き、手踊りは特徴的です。また、興じてくるとテンポも早まり、熱狂的な踊りとなります。
唄の種目は50種とも70種ともいわれていますが、男女の即興的な掛け合いの唄が多く、現在行われているものは10数種類となっています。その内容は、神々への感謝や祈り、男女の恋愛、社会風刺など様々です。奄美の人々の豊かな詩情がうかがえます。
各集落単位で行われていますので、日時等を確認して行く必要があります。
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