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更新日:2023年12月1日
2023年12月7日(木曜日)、NHK鹿児島放送局と奄美市では、奄美群島日本復帰70周年を記念して「新・BS日本のうた」の公開収録を実施します。詳細はリンク先をご確認ください(お申し込み受付は終了しました)。
観覧の際は必ず入場整理券が必要です。再発行は行っていないのでご注意ください。また、座席は指定席となっています。
皆様からお預かりしたメッセージを大切に保管し、10年後の奄美群島日本復帰80周年の年(2033年)に送付します。
詳細はリンク先をご確認ください。
各詳細は随時掲載・更新します。最新情報をご確認ください。
【※】各会場とも駐車場には限りがあります。ご来場の際は可能な限り公共交通機関等のご利用をお願いいたします。
【※】内容には変更が生じる可能性があります。あらかじめご了承ください。
【※】内容についてのお問い合わせはそれぞれの主催団体へお願いします。
名称 | 概要 | 申込・受付期間 | |
---|---|---|---|
1 | 「70チャレンジ」参加者募集 | ![]() 詳細はリンク先へ ○どなたでも応募できます |
[1]申込フォーム [2]実績報告フォーム 9月1日~11月30日 |
2 |
私のシマ。未来を描くコンテスト | 10年後の奄美をイメージした「絵画」「エッセイ」を募集。作品はアマホームPLAZAで展示し、優秀作品は表彰を行います。(募集要項)詳細はリンク先へ ※募集は終了しました。 |
9月1日~11月17日 |
3 | 未来へ繋ぐ記念植樹 イベントの様子 |
70周年の節目に、植樹を行う参加団体を募集しました(※募集は終了しました)。 |
9月14日~10月20日 |
4 | 奄美群島日本復帰70周年記念写真展 |
一部紙面、広報紙で開催日程の告知について誤りがありました。写真展は下記日程での開催となります。 奄美群島日本復帰70周年を記念し、復帰当時の奄美に写真を通して触れることを目的として、住用、名瀬、笠利で写真展を開催します。詳細はリンク先へ 【住用場所】黒潮の森マングローブパーク内 【日程】令和5年12月8日(金曜日)~12月15日(金曜日) 【名瀬場所】アマホームPLAZA内(奄美市市民交流センター)2階ギャラリー 【日程】令和5年12月19日(火曜日)~12月25日(月曜日) 【笠利場所】奄美空港内 【日程】令和5年12月27日(水曜日)~令和6年1月9日(火曜日) |
申込不要 |
5 | 日本復帰ゆかりの地巡りマップ | 復帰ゆかりの地をインターネット上で巡り、復帰の歴史の理解を楽しみながら深めることを目的に、「日本復帰ゆかりの地巡りマップ」を作成しました。復帰ゆかりの地(過去または現在)の写真を募集しています。詳細はリンク先へ 日本復帰ゆかりの地巡りマップ(外部リンク) |
【2】名瀬総合支所4階企画調整課に持参、または郵送 |
6 | 日本復帰記念提灯行列 | 奄美群島が日本に復帰した当時に行われた提灯行列を参加者と再現し、復帰当時における群島民の想いを追体験します。(12月25日17時ごろ、名瀬小学校校庭集合) 12月20日まで参加団体体募集中。詳細はリンク先へ。(個人は当日受付) |
2.用紙で申し込む(PDF) |
【※】天候等の事情により変更・中止となる場合があります。その際は奄美市ホームページ等でお知らせします。
名称 | 概要 | 申込・受付期間 | |
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1 | 日本復帰歴史巡りウォーク(終了) イベントの様子 |
11月4日イベント概要(5・6・7含む)(PDF:874KB) |
申込不要 市民広場(市役所名瀬小学校側)に集合 受付:10時30分~、11時30分~(2回実施) |
2 | おがみ山激坂選手権(終了) イベントの様子 |
おがみ山を駆け上がるタイムアタックレースを開催しました。 【開催日】11月4日(土曜日)10時から |
|
3 | おがみ山ウォーキング(終了) イベントの様子 |
おがみ山を登りながら奄美復帰の歴史を知ろう!(おがみ山展望台で手形アートのイベント実施) |
申込不要 市民広場(市役所名瀬小学校側)に集合 |
4 | 復帰記念クイズラリー(終了) イベントの様子 |
日本復帰に関するクイズラリーを実施しました。 対象:小学生以上(未就学児も保護者と参加OK) |
申込不要 |
5 | 昔の食と遊びを体験しよう(終了) |
昔ながらの料理を実際に調理し試食します。昔の遊び道具を創作しました。 【開催日】11月26日(日曜日)9時半から15時 【場所】住用公民館 対象:小学3年生から高校生 |
令和5年(2023年)は、奄美群島が日本に復帰して70年の節目の年です。
あの時代に何があり、これからの未来を生きる子どもたちに何を伝えていくべきなのか、一人ひとりが考える機会になれば幸いです。先人たちの想いや、復帰運動の意義を後世に語り継いでいきましょう。
昭和16年に開戦した第二次世界大戦では、奄美群島の各地からも多くの方々が招集され、戦死を遂げています。
昭和20年には奄美大島でも名瀬の街が大空襲を受け、市街地の90%余が消失する事態となりました(昭和20年4月20日)。また、昭和20年8月6日、広島に原子爆弾が投下された同じ日、赤木名が爆撃(空襲)を受け、防空壕に避難した住民の40名が犠牲となっています。
昭和20年(1945年)8月15日に戦争は終結しましたが、昭和21年2月2日、米軍政府により西諸島全域に対する軍政布告が公布されたことで、北緯30度以南の南西諸島は日本から行政分離され、奄美群島は米軍の統治下におかれました。
これにより、日本の本土と奄美は自由な渡航が不可能となり、米軍からの配給物資や予算配当も不十分だったため、さまざまな物資が不足し、奄美の人々は困窮していました。そのため、北緯30度線に近い口之島や中之島を拠点とした密貿易が行われたり、島づたいに「密航」という手段を使う人々もいました。
昭和26(1951年)年1月、ダレス国務長官を団長とする対日講和使節団が来日し、日本政府との間で講和条約の交渉が始まります。
このころから日本復帰運動が全郡的な広がりをみせはじめ、奄美大島日本復帰協議会が発足し、郡島民(14歳以上)の99.8%が署名したという署名活動や、合計で27回開催された集会活動、本土在住の奄美出身者たちによる陳情活動などが行われました。
昭和27年4月28日対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)が発効され、日本国の主権が回復しましたが、北緯29度以南の南西諸島は米軍政府の施政権下におかれました(痛恨の日)。同年8月1日、泉芳朗は高千穂神社で日本復帰を祈願した断食を5日間実施。この断食
による復帰運動は、郡島民にも広がりをみせます。
昭和27年10月23日、重成鹿児島県知事が復帰関連の調査で来島し、到着の名瀬港をはじめ、奄美地方庁までの沿道は、「歓迎・重成知事」や「即時鹿児島県大島郡復活」等のプラカードを掲げた大勢の群衆で埋まりました。この歓迎の様子からも、島民がどれほど日本への復帰を望んでいたかが垣間見れます。
昭和28年8月8日、米国ダレス国務長官が「奄美群島を日本に返還する」旨の声明を発表、午後8時頃奄美の新聞社がその情報を入手、号外ニュースとして各地に知れ渡ります。翌日の新聞は大きな見出しでこの「ダレス声明」を報道しました。8月9日の夜には、「ダレス声明感謝郡民大会」が名瀬小学校の校庭で開催され、1万5千人もの市民が提灯や感謝のプラカードや、のぼり旗等を持って詰めかけたとのことです。
そして、昭和28年(1953年)12月24日の夕方、日米間で奄美群島返還協定に調印が行われ、翌日の12月25日午前0時、ついに奄美群島は悲願の日本復帰を果たしました。
郡島民をはじめ、全国各地の奄美出身者達が一丸となった組織的な署名活動や、断食活動など、「非暴力」「無血」で達成した奄美群島の復帰運動は、世界的にも類例を見ない活動として高く評価されています。
今年は奄美群島日本復帰70周年。
この機会に奄美の歴史や当時の復帰運動について改めて見つめなおし、先人達の想いや一致団結する大切さ、そして平和の尊さを後世に語り継いでいきましょう。
奄美群島日本復帰のあゆみ(画像入りで復帰の概要を解説したパンフレットです)(PDF:8,911KB)
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